2009年 01月 18日
14年が経ちました。 |
阪神・淡路大震災からも14年経ちましたね。
月日の流れる事の早い事・・・
今でもあの当時の事ははっきり覚えています。僕はもう関東で仕事していたのですが、朝5時位(だったでしょうか?・・震災直後)に遠距離していた彼女(今の奥)から電話があり、寝ぼけながら電話にでると、「助けて!!・・・〜〜・・」とほとんど聞き取れない状態で叫ばれ、「何が!?どうした!?」と聞き返すと「テレビ見て〜〜!・・・・」で電話は切れてしまい、その後すぐかけ直したけど繋がらず、、訳も分からないし心配にはなったがどうする事もできず、とにかくテレビをつけました・・・・
が、当然とくに何も無く、、しばらく眺めているとやっとテロップが流れ、「阪神地方で地震・・・」と表示されようやく合点もいったが、「助けて!!〜〜」ほどなのか?当然ながらとてもピント来ず。。その後またしばらくテレビの画面を眺めているとようやくヘリから第一報映像が。。「何だこれ???!!!」
慌てて実家にも電話するが、これも当然繋がらず。。音信不通のまま時間が過ぎ、とても落ち着いていられなかったが、関東方面もパニックで交通手段が無く、一週間近くかかってようやく飛行機が伊丹空港まで飛べる事になりました。
とにかく持てるだけの水と食料を持って関西に戻る事にしました。ただなぜか羽田からは飛ばず、成田から・・・「急ぎたいのになんでやねん!!」と文句を言いましたが、、どうにもならず。。
伊丹空港から地元に向かうバスは道路が分断されていることもあり、わずかな距離しか進まず、重たい荷物を抱え2時間近く歩きました。。
想像以上の被害に心配は膨らみましたが、家族は皆とりあえず無事でした。
今回、ちょっとした事情で当時撮影した画像を引っ張りだしたので、今更ですが少しアップする事にしました。
プリントからのスキャンなので画像はあまりよくありませんが。。
実家は和食のお店をやっていたので大量の食料がありましたが、電気も止まり食材も傷むだけなので、気持ちの落ち着いた親、兄弟は近所で仕出しを始めました。
僕は一部ですが、友人の無事を確認してまわりまり、写真はその時撮りました。
宝塚の山手の方の友人で家が少し損壊したから、屋根や屋根裏に敷くブルーシートを探して欲しいと言われ、近場の友人から原付を借り大阪方面にブルーシートを探しに行きました。シートは一帯で大量に使われ、近所ではとても余分は見つからなかったので、かなりあちこちを探してまわりました。大阪近くのテント屋でようやく見付け、お金を払おうとしたら、「そんなもんいらん!早よ行ったれ!」と気持ちのよい親父さんに追い出されました。親父さんありがとうございました。
弟は寝ていたら、上からスピーカーが落ちてきて目を覚ましたそうです。大怪我しなかったのはある意味奇跡ですね。
友人の一人はたまたま何故かその時シャワーを浴びていて難を逃れたそうです。
連絡の取れない友人も何人もいました。
大好きだった山のおじさんも震災後他界しました。
言い方は厳しいかも知れませんが、この震災で「人」の普通では見れない本性が見えました。
あの恐ろしい体験をしたすぐ後でも、周りの人達と力を合わせ助け合う人、あまりの恐怖に他人よりも自分の事で精一杯の人、何も行動せずにまわりに任せる人。
僕も直接最初の酷い地震を体験していないので、自分はどうなのか分かりませんが、仲間内にしか水を配らない、訳も分からず怒鳴り回る、手助けもしない自分勝手な人達の行動にはあきれてしまいました。
経験した事のない今の人達が「俺は結構優しいし、強い。」とか「震災とか受けても人のために手助け出来るよ」なんて事を仲間うちで言ってても、いざ経験をすると果たしてどっち側にいるでしょうか?
人は皆弱い。震災とかなければ、一生そんな自分を出す事無く、見せる事無く暮らせるのでしょうが、、震災は起きた。
よくテレビなんかで、地震のときはこうしましょうとか、震災に備えて防災グッズは常備しておきましょうと言っているが、、実際の現状とはどれだけギャップがあると思います?
自分や家族、個人を対象とした話が多すぎる。
関東でも・・とよく言われていますが、、
実際に防災グッズを常備している家庭はどの位の割合?
自分達だけではなく、「となり近所の人達のためにも」と皆が思い皆が常備する事こそが、「他者を想い、労り、他者との関わりを深くする」重要な事だと僕は思うのですが。。
今はただ黙祷。
月日の流れる事の早い事・・・
今でもあの当時の事ははっきり覚えています。僕はもう関東で仕事していたのですが、朝5時位(だったでしょうか?・・震災直後)に遠距離していた彼女(今の奥)から電話があり、寝ぼけながら電話にでると、「助けて!!・・・〜〜・・」とほとんど聞き取れない状態で叫ばれ、「何が!?どうした!?」と聞き返すと「テレビ見て〜〜!・・・・」で電話は切れてしまい、その後すぐかけ直したけど繋がらず、、訳も分からないし心配にはなったがどうする事もできず、とにかくテレビをつけました・・・・
が、当然とくに何も無く、、しばらく眺めているとやっとテロップが流れ、「阪神地方で地震・・・」と表示されようやく合点もいったが、「助けて!!〜〜」ほどなのか?当然ながらとてもピント来ず。。その後またしばらくテレビの画面を眺めているとようやくヘリから第一報映像が。。「何だこれ???!!!」
慌てて実家にも電話するが、これも当然繋がらず。。音信不通のまま時間が過ぎ、とても落ち着いていられなかったが、関東方面もパニックで交通手段が無く、一週間近くかかってようやく飛行機が伊丹空港まで飛べる事になりました。
とにかく持てるだけの水と食料を持って関西に戻る事にしました。ただなぜか羽田からは飛ばず、成田から・・・「急ぎたいのになんでやねん!!」と文句を言いましたが、、どうにもならず。。
伊丹空港から地元に向かうバスは道路が分断されていることもあり、わずかな距離しか進まず、重たい荷物を抱え2時間近く歩きました。。
想像以上の被害に心配は膨らみましたが、家族は皆とりあえず無事でした。
今回、ちょっとした事情で当時撮影した画像を引っ張りだしたので、今更ですが少しアップする事にしました。
プリントからのスキャンなので画像はあまりよくありませんが。。
実家は和食のお店をやっていたので大量の食料がありましたが、電気も止まり食材も傷むだけなので、気持ちの落ち着いた親、兄弟は近所で仕出しを始めました。
僕は一部ですが、友人の無事を確認してまわりまり、写真はその時撮りました。
宝塚の山手の方の友人で家が少し損壊したから、屋根や屋根裏に敷くブルーシートを探して欲しいと言われ、近場の友人から原付を借り大阪方面にブルーシートを探しに行きました。シートは一帯で大量に使われ、近所ではとても余分は見つからなかったので、かなりあちこちを探してまわりました。大阪近くのテント屋でようやく見付け、お金を払おうとしたら、「そんなもんいらん!早よ行ったれ!」と気持ちのよい親父さんに追い出されました。親父さんありがとうございました。
友人の一人はたまたま何故かその時シャワーを浴びていて難を逃れたそうです。
連絡の取れない友人も何人もいました。
大好きだった山のおじさんも震災後他界しました。
言い方は厳しいかも知れませんが、この震災で「人」の普通では見れない本性が見えました。
あの恐ろしい体験をしたすぐ後でも、周りの人達と力を合わせ助け合う人、あまりの恐怖に他人よりも自分の事で精一杯の人、何も行動せずにまわりに任せる人。
僕も直接最初の酷い地震を体験していないので、自分はどうなのか分かりませんが、仲間内にしか水を配らない、訳も分からず怒鳴り回る、手助けもしない自分勝手な人達の行動にはあきれてしまいました。
経験した事のない今の人達が「俺は結構優しいし、強い。」とか「震災とか受けても人のために手助け出来るよ」なんて事を仲間うちで言ってても、いざ経験をすると果たしてどっち側にいるでしょうか?
人は皆弱い。震災とかなければ、一生そんな自分を出す事無く、見せる事無く暮らせるのでしょうが、、震災は起きた。
よくテレビなんかで、地震のときはこうしましょうとか、震災に備えて防災グッズは常備しておきましょうと言っているが、、実際の現状とはどれだけギャップがあると思います?
自分や家族、個人を対象とした話が多すぎる。
関東でも・・とよく言われていますが、、
実際に防災グッズを常備している家庭はどの位の割合?
自分達だけではなく、「となり近所の人達のためにも」と皆が思い皆が常備する事こそが、「他者を想い、労り、他者との関わりを深くする」重要な事だと僕は思うのですが。。
今はただ黙祷。
by gamu-syara
| 2009-01-18 01:39